世界的にやはりゲームの地位というものは低い。
ゲーム依存症という言葉が定められてしまっている、ということもあり
TVゲーム=悪という分かりやすい図式を作ろうとしている風潮が見え隠れしています。
たしかに、一部の国ではオンラインゲームのやりすぎでなくなってしまった人も居ますし
ポスタルのような不条理な暴力的表現や、GTAのような色んな意味で好きに出来てしまうゲーム
シヴィライゼーションのように「ネタ」として、電子ドラッグと言われるようなゲームも存在します。
しかし、ことさらゲームだけにこれを当てはめる意味を私は知りません。
映画を見てアクションを真似して危ない目にあった子供も大人もいるでしょう。
本を読んで実践したり、起き入りのセリフを真似したりした人もいるでしょう。
音楽を聞いて、楽器に取り組んで見たり、好きなバンドの格好や演奏コピーした人もいるでしょう。
TVゲームが世界に登場して数十年が経過しています。
その時間の流れで表現技術や手法は成長し、今やエンターテインメントの1つになっているはずです。
でもなぜ、ことさらゲームばかり悪く言われるのか?
これについては
色んな業界のお偉いさん方が
ゲームは、本、映画・スポーツ等の一般的娯楽より下
そんなものに時間を使うなら、自分が出すコンテンツを遊ばせるため
に言っているものだと私は考えています。
何かをするということは、その何かをする時間は時間は別のことをやらない
ということです。
映像で言えば、Youtube等のストリーミングサービスを見ている間は地上波を観ないですし
(二窓で見てる人もいますが)
その状況が続けば、メディアを持つ各テレビ局は自社以外のサービスが以下に悪いか、そこに関わる人が以下に問題かをいつかは取り上げるでしょう。
※ちなみにテレビ中毒という言葉も存在するので、TV局は他の媒体を批判できないと思うんですが…
今やゲームは全世界で手の出しやすい表現の一つだと私は思います。
そして、ネットの普及もあり、言葉の壁をも超えて全世界にプレイヤーの輪は広まっています。
たかがゲーム1本で、涙し、笑い、よろこぶ。
そのたかがが、人に大きな影響を与え、そこに関わった人やプレイヤーの人生を変えることになる可能性を大いに秘めています。
ゲームは
1冊の本であり。
1作の映画であり。
1枚のアルバムであり。
1個のパズルであり。
1つの競技である。
そんな、多種多様な可能性を秘めたゲーム。
私はこれを悪いものとは決して言いたくありません。
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